自分を信じている

昨日は父の誕生日でことばの日だった。

 

ずっと翻訳ばかりやってきた。

これからも翻訳をやっていくだろうけど。

 

 

初めは言語学、韓国語学、国語学のような

学問に興味があってことばの世界に入り

 

 

それから映像に字幕をつける仕事っていうのが

案外、身近にあることが分かって近づいて

もう何が何でもこの仕事をするって一人で張り切って

 

 

何が何だか本当に分からないまま

「やりたい!」と名乗った。

 

 

何の装備も持たずに荒波に出ていくか

険しい山を登り始めてしまった感じ。

 

今の人たちなら

スクールに通ってしっかり準備を整えて

波に乗るなら山を登るなりするのでしょうが

 

何とも無謀な出だし。

 

 

どこに行ったら教えてくれるかも知らず

目の前にチャンスだけやってきたから

夢中で手を挙げたのだ。

 

 

 

 

そして気づけば20年ほど経っていたという今。

もちろん後悔はしていないどころか

本当にやってよかったと思っている。

 

 

出だしで「まだ何も勉強していないし」なんて思ってしまったら

完璧を目指したくなる気持ちのほうが強く働いて

いまだに動き出してもいなかった気がする。

 

 

もともと父が言葉の面白さを小さい頃から教えてくれていたから

その芽がいい土壌に会えて

発芽できたのかもしれない。

 

「今が発芽のチャンスだ」と思ったのは

誰でもない自分。

 

よく考えたら無謀だとか無理だとか

思ってしまうようなことを

素直にやりたいと手を挙げてしまうことがあれば

それはもう正直な自分をほめるしかない。

 

 

 

 

今、一つ

やりたくて手を挙げているものがある。

手を挙げて準備をしているけど

まだスタートサインをもらえず返事を待っている。

サインをもらえないということもあるのだろうが

まったくそんな気がしていない。

 

 

なぜか。

 

 

 

自分が手を挙げたかったから。

 

 

 

今度はここで「花を咲かせたい」と

思っているのかなと感じる。

 

 

とことん自分を信じてみる。

 

 

芽を出したら次は花を咲かせたいからね、やっぱり。

 

 

芽を出して20年経ったけど

花を咲かせたい、しっかりと。